Diary Diary Diary

まあそういうことだから。

牧場に来た

今日は朝から予定があった だから苦手な早起きした

 

カネコアヤノの「恋文」からの引用である。今日は実際に私にとってそういう日だったので、この歌を口ずさみながら朝7時半過ぎの商店街をふらふらと歩く不審な若者になった。朝から予定と言っても、遠くの牧場まで鈍行列車に乗ってガタゴト行かなくてはならないので早起きをしたというわけである。今日は唯一フル対面での実施が叶った実習「牧場実習」の日である。

 

21人のクラスの中で2人辞退者が出たので、19人での実施になった。超田舎の某所にある大学が持っている牧場に出向き、そちらに勤務されている技官の方の指導のもと作業を体験しながら学ぶというものであった。まあ社会科見学と職場体験の中間くらいなものだろう。おいしいところ(主要なところ)だけを抽出して体験させてもらえるという何とも贅沢なプログラムだった。今日は昼に到着して説明を受けたあと、4班に分かれてそれぞれ別の実習を一か所実施した。

 

私の班の今日の実習は農事作業実習で、まあ要するに農業機械の操縦を学ぶというものであった。トラクターとユンボという大変興味をそそる二つを目の前に紹介されたまま、お預け状態で1時間みっちりと話をお聞きして(聞かされたなんて口が裂けても言わないが)、ようやく実際に操縦の練習をする段になった。私は田植え機を運転したことがあったし普通自動車の運転には慣れているのでトラクターの運転はとても楽しかった。特に牽引しているローラーの向きに注意しながらバックするのは難しいながらに面白かった。

 

ユンボはアームの操縦が主だった。これは厳密にいうと講習を受けて免状が出ている人でないと何人たりとも操縦してはいけないそうだ。当然私もその講習を受けて免状を取得しているということにしておく。当然だ。練習では缶やバケツを手前に引き寄せるという作業を行った。2か所の関節を同時に滑らかに動かすというのが最も難しいポイントだったが、なかなかに面白かった。そういうのは他人がやっているのをよく見て理屈さえわかれば大体人並み以上に上手くできるたちなので、あんまり苦労はしなかった。ちなみに友人は一斗缶の真上からショベルのアームを下ろしてまるで飴のようにぐしゃぐしゃに曲げてしまった。面白かった。

f:id:loI:20210228005132j:plain ←私が操縦しているユンボ

このあと本番と言って木の切り株を掘り起こすという作業をした。木の根が思っているより大きく張っていて全く掘り起こせなかった。メリメリ言う音がカッコ良かったぐらいだ。全員で順番に操縦したのに、だ。技官の人がやってもこれ以上は無理だと言う話だったので仕方ない。私としては大満足な体験だった。

 

いろいろ思うことはあったが今日は田舎育ちの自負と周りからの扱われ方について。こういう実習をしていると必ず「田舎そだち」であることを周りから意識させられる瞬間が来る。例えばトラクターについても、運転がちょっと上手いと「さすが長野出身」みたいなことを言われる。まあ確かに田植え機に乗ったことがあるという体験は田舎特有のものであるかもしれないし、実際私もそれを感じているのでそう言われることに対して特に反感を感じることもない。だがその反面、そうやって様々な場面で自分と他者同時に「田舎出身」というアイデンティティが刷り込まれていくと、私=田舎、長野という図式がだんだん成り立っていってしまうということがある。厄介なのが、これが他者だけでなく私の中にもだんだんとかつ着実に刻み込まれていくということである。こうなるとどうなるか。皆が見ている私は「田舎出身の自然の中で育った人」であるということを常に意識して生きていくことになる。そうするとますます期待される私を演じた言動が無意識に増える。寒さに耐えてみたり、平気で糞の掃除をしたり。確かに本当に寒さに強い、というか他の人が寒がりすぎだと思っている節があるし、フンの掃除は別に嫌じゃないのだが、その「強調」をしてしまうのだ。これが私の中に疑問を生じさせる。皆と打ち解けているのは本当に自分だろうか。「田舎」のパラメータを誇大に膨らませた「別の人格」ではないだろうか。私のことを田舎のフィルターを外して見ることはもう困難になっている。何となく距離を感じてしまうのはそのためだと思う。

 

ただ私は「田舎者」を誇張して演じるのをやめられない。集団の中でのアイデンティティがなくなる方が怖いからである。やっと掴んだポジションがそれなら、その期待に応え続けて田舎者の座に居座ることがそのコミュニティで生き残るための術であろう。今まで散々ポジションどりに失敗してきた。それが今回の学科というコミュニティでは何人かの「田舎者」枠に入れてもらえている。明らかに私よりも「田舎」な奴が一人いるせいで、私も負けじと演じるしかないが、そこでしっかり印象がつけば、「私」の身の振り方がわかる。どういうやつかがわかりやすく「キャラ」として根づけば、周りも私に接しやすくなる。田舎者レッテルは私がこのコミュニティで周囲に認められて仲良くしてもらうための「身分証」になっている。

 

もうそうなってしまったから仕方がないが、この学科にはそのフィルターを外してみてくれる人、それを外して喋っても私の話を聞いてくれる人、もいそうないい学科だと最近は思っている。これからゆっくり時間をかけて人対人の関わりを築いていこうという矢先に研究室に分かれていく季節がやってきた。時間が足りなかった。何となく、というかとても寂しい。あと二日間せめて実習を楽しむしかない。と思っている。

 

これも大きな声では言えないのだが、先生方はとてもゆるいので本来は禁止されている「集まっての飲み会」を開催した。食堂で一堂に会し、飲んで話した。普段はずっと一緒に授業を受けているが、それらは全てオンラインで実際に会った経験はそこまで多くないという不思議な距離感の中、普通に楽しく盛り上がる飲み会ができた。久しぶりに飲み会をして盛り上がれた気がした。ここまできたからには演じ切ると腹をきめ、酒の席でもちゃんとした田舎者になった。こういうことをすると自分が後で虚無感に襲われるとわかっていながら。その場での自分の表面的でわかりやすい「キャラ設定」を求めて。そのおかげで得られる「楽しみ」と「楽さ」には相当な価値があると思っている。明日は早い。8時からお仕事である。起きられるかどうか明日の自分に期待である。

明日から牧場実習だね

今日はオンラインでの実習ガイダンスがある予定だったので何となく1日空けておいた。でもそんなものはものの1時間で終了したので、1日の大半は暇だった。1日のどこかにそういう感じで家にいなければならない時間があると、予定を入れるのが億劫になる。やらなければならないことはたくさんあるのだが(特にドラムの録音がやばい)、どっかのタイミングでは必ず家にいる必要があるとすると1日忙しいような錯覚に陥る。宅急便が来るときなんかもそうである。

 

そんでこういうときは決まって前日まで暇なことに気がつかない。こうやってまた日々を無駄にしていくのだろうなぁ。充実度を均等にしたいなあ。毎日やることがつまっていないと生きている感じがしない…。

 

なんて思うわけがない。いや、ちょっと前までの私はわりとそういうタイプの人間だったが、最近はもう何もしなくていい日があるなんてこんな贅沢はないという考えに移行してしまった。ダラダラすることの何がいいんだろうとよく思っていたが、急にダラダラすることの贅沢を覚えてしまった。今まではなんとなくダラダラしているとこのままでいいのだろうかとか嫌なことと向き合わなければとかそういう気持ちが押し寄せてくる(だいぶ初期に書いた魔の時間もこの類だ)から嫌だったし、そういう気持ちを紛らわせるためには何かしていないとダメだという思いからあくせくしているのが好きだったのだが、最近は気持ちにどこか余裕があるのでその発作が治まりつつある。一個だけインターンのことを思うと現実逃避したくなるが、もうそれだけなので頑張るしかない、というか全力をかけることができるならそれも頑張れるかもしれないと思うのでこんだけ気持ちに余裕が出てきた今なら太刀打ちできるのではないかと思っている。

 

日記なのか何なのか本当にわけがわからない文章だなと思う。そのくらい今日は何もしていない平和な日だった。強いていうならひたすら進撃の巨人の漫画を読んでいた。オンラインのガイダンスは明日からの牧場実習に向けてのものだった。牧場実習は今年度唯一のフル対面実習なので楽しみなことこの上ない。全く準備は進んでいないけれど瀬戸際の魔術師である私はギリギリで準備した方が忘れ物が少なく済むので明日早起きしてしようと思っている。

スキニーさん

この間受けさせられた抗原検査は陰性だった。実は内心本当に陽性が出るのではないかと心配していたのでものすごく安堵しているところである。ネガティブな性格が功を奏したといったところだろうか(ジョークですよ、ジョーク)。でもこんだけ感染が拡大しているのだから20人のクラスがいたら一人くらいいても良さそうなものだと思ったが、全員陰性だったとの知らせしか入らなかった。もちろん喜ばしいが、いわゆるところの「集団免疫」にはまだまだ程遠いということなのだろうか。早くみんなかかろうぜ(圧倒的不謹慎)。死なない程度にかかる方法があればいいのになぁと思ってしまう。それがワクチンでしょ。そうでしたね。

 

今日ちゃんと日記を書くとめっちゃつまらないので昨日会った細い人のことを書いておく。昨日は高田馬場に行ったと書いたが、この細い人のリクエストで行ったのだ。いつ会っても心配になるくらい細いので細い人とでも書いておく。細長いなあと思っていたらやっぱり大学に入ってからも身長が伸び続けているらしい。もう面白い。昨日会った名目は「漫画を返しに行くこと」。借りていた漫画を積読してあったので、いい加減返す期限を決めようと思って「返すから会いたい」と言って約束を取り付けた。案の定私の性格であるから、当日までほとんど読まず、ギリギリの爆速読書によって集合の1時間前を過ぎたあたりで読み終えた。高田馬場はうちから近いので助かった。

 

私はこの人が好きである。理由は単純に、面白いから。昔から面白いというかぶっちゃけ変な人を好きになる癖がある(というか、確かに正統派可愛い女子もモテるのは事実だが、多くの男子は大体ちょっと面白い不思議ちゃんの方に惹かれるもんだと思っている)。偉そうに聞こえるが、可愛いだけの人なら結構たくさんいるし整形したらなれると思うが、変な人にはそうそう狙ってなれるもんではない。「え?この人変!」と思った瞬間一気に興味が増すのである意味一目惚れしやすいタイプかもしれない。

 

でもこの人は見た目も好き、というか身もふたもない話をすれば私の初恋の人に似ているので、喋ったことのない時から無自覚に気になっていたのだろうと思う。2年生のクラス替えの名簿を確認した時、無意識に細い人の名前を同じクラスに見つけて喜んでいる自分に気がつき、「え、私はなんで喜んでるんだ?」と思ったのが自覚の瞬間だった。その後喋ってみて変な人大当たりなもんだから気持ちの加速はえげつなかった。典型的っちゃ典型的な「落ち方」である。

 

そこからかれこれ5年近く経つが、この人はいい意味でちっとも変わらない。ちっとも変わらないことに罪悪感を感じているらしいが、変わらないでいてくれる存在がどれだけありがたいことだろうか。いろんな方面で活躍するようになっていくかつての友人たちを見ていると本当にすごいな、頑張って欲しいなと思う反面、あの頃の感じに戻れないのかな、とか私から遠いところへ行ってしまった、というような感覚(なんて自分本位なのだ)を覚えることがある。実家のような安心感という表現があるが、細い人はまさにそういう感じである。安定感。それを本人は自覚していないし私がどれだけ頼りにしているかが伝わっていないのがもどかしい。引かれるし重いと思うのであんまり言わないがこういうことこそ日記みたいな自分しか読まない(他人に読まれてるけど)やつに書いておく意義のあることかも、と思っている。どうせ明日になれば恥ずかしくなって全部消したくなるのだろうが。

 

今日も安定に面白くていい人だった。今日も細くて優しかった。優しいがすぎてときたま全部演技なのではないか、私の話に全部無理に付き合わせてるだけではないかと思えることもある(ネガティブなので)が、いい加減信じるべきなのだろう。人を100%信じることは基本的に出来ないタチなので、というか基本的に疑ってしまう性格なので、それが治っていくといいなぁと思っている(他人事ッ!!)

手塚治虫先生本当にすごいですわ

高田馬場に行ってきた。山手線でも東京メトロでも何回も通っているが一回も降りたことがなかったので新鮮だった。某W生が朝になると酔い潰れて転がっているという都市伝説はよく聞くが、本当に飲み屋が多かった。夜飲めるようになったらまた来たいと思う。そんな時は来るのだろうか少なくとも大学在学中に。なんとなーく来ない気がしている。おなじみバンドメンバーのTはW大学の学生なのでよく知っているみたいだ。今度一緒に行きたい。

 

高田馬場手塚プロがあるところだかららしいが、手塚治虫の街感が半端ない。私は何の勘違いかトキワ荘があったのだと思い込んでいた。嘘を教えてしまったので誤解を解かなくては。まあどんなところが手塚治虫一色かというと、駅の発車メロディが鉄腕アトムの曲だし、ガード下にはこんな壁画があった。

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本当はもっと大きいのだが(よく考えればググれば出るよな今の時代)、手塚治虫ファンの私にとってはとても感じ入るものがある凄いものだった。いろいろな作品のいろいろなキャラクターがコラボしていろいろな場面が描かれていて(作品オリジナルストーリーとは全く関係ない)ああこのキャラクターもいる、ああこれもいる、ええ凄い、という震えかたを禁じ得なかった。

 

手塚治虫氏の作品で、全部ちゃんと読んだことがあるのは実は「ブラック・ジャック」「火の鳥」「ブッダ」の3作品だけである。鉄腕アトムとか、リボンの騎士とか、どろろとか三つ目がとおるとか、読みたい作品はいっぱいあるのだが未だ触れられていない。その代わりに、と言ってはおかしいが、手塚治虫短編集みたいな(正式な題名を忘れてしまった)茶色の分厚い本を小学生の時に貪るように読んでいた。内容はもうみんな忘れてしまったが、当時はえらく感動してこんなに凄い漫画がこんなに昔からあるなんて!と思っていたことを覚えている。そもそもブラック・ジャック火の鳥だけでもお腹いっぱいという感じなので(これらは最低3回は読んでいる、うちにあったので)、その時から心酔していた手塚治虫ワールドをさらに広く浅く広げた感じだろう。

 

ブラック・ジャックは小さい頃から今まで読んだときの感想がある意味そんなに変わらない。小さな頃も、目の前の「命」や家族の愛といった大きな価値のあるものと、そこへ降りかかる「病気」「災害」「犯罪」「貧困」「人間関係」「金」のような様々な問題に毅然と立ち向かうヒーロー「ブラック・ジャック」という構図はわかりやすく、比較的受け取るものは多かったのではないかと思う。それでも漫画にしてはとても重い描写も多く、ショックを受けたシーンも少なくなかった。ブラック・ジャックを大きくなってから読んで逆に変わったことの一つは、作中の端端にあるメッセージをもう一歩踏み込んで読み取ることができるようになったくらいだろうか。特に生命倫理環境倫理の観点で鋭い問題提起が隠されている甲斐が多いことに気づかされる。例えばブラック・ジャックの顔に皮膚を提供してくれた子は、「地球の医者」になると言って環境保護活動を進めた結果、それを不都合に思った何者かによって消されてしまった。私は今農学部で環境について学んでいるし、世界的に環境問題についての話題が大きく叫ばれてきている現在ではあるが、この昔からそういった問題に警鐘を鳴らす社会派漫画としてものすごく高品質なものであると私は思う。それと同時に、それを意識させすぎないというか、それだけを前面に押し出すのではなく、きちんとフィクションの世界観を保って物語をまとめ上げている腕は圧巻である。幼く、まだ世の中の様々な問題についてその内実をよく知らない私でも読めたというのがその証拠である。

 

しかし火の鳥は今読んでも実に難解というか毎回新たな発見をさせられる。生涯繰り返し読みたくなるような漫画だ。スケールがとてつもなく大きいので、読み終わった後は本当に歴史書を読んでいたかのような気分になる。「未来編」「ヤマト編」など(うろ覚え)いろいろなパートに分かれていて、それぞれ「時代」や「舞台」が全然違うのだが、共通するのはどの世界線にも「火の鳥」が存在することである。火の鳥の力で永遠の生命を手に入れようと願う人類と、果たしてそれは本当に幸せなのかという問い、人間は何のためにどこからきてどこへ行くのかという問いなど、非常に哲学的な問いを投げかけてくるものである。火の鳥のことを考えていると目の前の人が急にかけがえのない奇跡の存在みたいに感じられてそれだけで感動してしまうようになる。受験期に勉強から逃避して読んで以来最近は読んでいないのでまた次に実家に帰った時に読みたい。個人的には「望郷編」というパートに出てくるムーピーが好きである。

 

ブラック・ジャックはKが、火の鳥はTが読んでいるので、バンド内でこういう話が盛り上がる。非常に楽しい。ブッダは小学生の時に一回しか読んだことがないので、もう一回読みたいと思っているところだ。こんなことを書いていたら本当に火の鳥が読みたくなってきた。実家に帰りたい。

アヤノさん。

 

特に書くことがない日なので好きな音楽の話第n弾(もう忘れた)!

 

本日はカネコアヤノについて書いておこうと思う。

 

カネコアヤノさんは私が最も敬愛する女性シンガーの一人である。他にもaikoとかmiletとか色々な女性シンガーが好きだが、聴いている時間で言えばカネコアヤノが比にならないくらいダントツである。それくらいここ2年くらいハマっているアーティストである。

 

あんまり歌詞について色々いうのは好きではないのだが、カネコアヤノについては歌詞がメロディにフィットしているものがとっても多く、なんというか歌詞先行でそこにメロディをつけているのではないかというくらい(本当にそうかもしれない)歌詞が切実に伝わってくるというか、本当にそれを思っている時に言葉をポツリと呟いて、そこにメロディが乗ってできましたみたいな曲が多いと思う。オタクなのでここまで一息で書いてしまったが、カネコアヤノの書く詞が良いのは事実である。可愛い歌もあるしおもしろい歌もあるし考えさせられる歌もあるし、でもどんな歌も基本的に日常の一コマを切り取ったかのような小さな幸せとか気づき、感情の機微を拾って歌っている感じがする。カネコアヤノを聴くようになってから本当に日常生活の中での何気ないことでも何だか色めき立って見えるというか素敵に思えるので私はその世界観から本当に影響を受けていると思う。ヘヴィメタル同様、カネコアヤノはまだガンには効かないがそのうち効くようになる。

 

歌い方もかっこいい。CD音源ではなかなかわからないのだが、ライブ映像を見てみるとその迫力がぶっ飛んでいてめちゃくちゃかっこいい。私は太い声を出せる女性が好きなので、ドスのきいた声を出しているライブ映像を見てこれはすごいと思った。もちろん音源も結構太い声が出ていたりするのだが、ライブで出ている声と表情はびっくりするほどの圧がある。圧巻である。

youtu.be

特にこの映像はめちゃくちゃかっこいい。好き嫌いは分かれそうだが表現力の塊だと思う。あいみょんなんかより攻撃的なのでこっちの方が私は断然好きである。あとバンドとして演奏するのが楽しそうなのがものすごくいい。バンドをやっている身としてはカネコアヤノバンドみたいなバンドなら絶対楽しいだろうなと思ってしまう。

 

いろいろな魅力があるのでとにかくいろいろな人に布教したいのである。可愛い曲、メンヘラっぽい曲、びっくりするほどエロいというか色気に満ちた曲、元気が出るような曲、誰かに会いたくなる曲。いろいろあるがアルバムごとに色があるのでそれをまとめておこうと思う。

 

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・「来世はアイドル」

1stアルバムだが、歌い方なんかはこの頃からあまり変わっていない印象。しっかりしている。結構シンプルで明るい曲が多い印象。最後の「湯船」を聴きながらお風呂に湯を張って浸かるのが私のひそやかなお気に入りである。他に好きな曲は「さかな」「アイスキャンディ」「カウボーイ」。

 

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・「恋する惑星

次のアルバム。前のアルバムが結構ギター中心のサウンドな印象なのに対して、シンセの音や電子音が結構入った面白いアルバムだと思う。特に冒頭2曲「コンビニ」「銀河に乗って」のインパクトが凄いのでグッと引き込まれると思ったら、そのあと2曲は抑えめな印象、ゆったりしたと思ったら「キスをしよう」の元気&色気感、とにかくバラエティパックというのがこのアルバムの印象である。結構ラブソングが多いのも特徴かと思う。「マジックペンと君の名前」の一節(しかもサビ)「君の名前はいい名前 いつか名字をくださいな」という歌詞には初め耳を疑った。ものすごく軽快に、ポップな曲調でさらっとこういうことを言うので、ボディブローを不意に喰らったような不思議な感覚になる。ギターサウンドが好きな私にとってはちょっと浮いている、でも好きなアルバムである。

 

カネコアヤノ / New Album「祝祭」

・「祝祭」

暖かい。優しい。とにかくそういう印象のあるアルバム。バランスというか総合力が半端ないと思う。「ロマンス宣言」「アーケード」のようなバンドサウンドが元気よく鳴っている曲もあれば、「ジェットコースター」「ゆくえ」のような静かで色っぽい曲もある。しかしこのアルバムはやっぱり最終曲「祝日」が頭ひとつ抜けている。優しい歌詞と抑揚のあるメロディ・歌い方が合わさってカネコアヤノの真骨頂という感じがする。私ならこれだけの曲を作って盛り上がりを出すためにバンドの力を借りてしまうと思うが、弾き語りで表現するところにミュージシャンとしてのこだわりを感じる。とんでもなくかっこいい。

 

カネコアヤノ New Album / 愛のままを / 2019.09.05 LP Release

・「燦々」

美しい。ただただその一言で表現したいアルバムである。結論からいうと私の最も好きなアルバムである。すべての曲がいいしアルバムの作り方としてもすごくいい。アルバムとして初めから終わりまでしっかり聴きたい一枚で、自分に才能があったらこういうアルバムを理想として作りたいとまで思う。バンドサウンドの曲が多めで(というか全部そう?)、充実感のあるアルバムになっていると思う。歌詞についても、ラブソングもあるが恋する惑星の時ほど露骨な表向きなものでなく、言葉選びが洗練されているのがわかる。ストレートにわかりやすいものを聴きたい時もあるが、やっぱり言葉の持つ想像させる力を味方につけたメロディメーカーは強い。メロディもかっこいいものが多く、特に「セゾン」「りぼんの手ほどき」なんかはメロディで聴かせるなぁと感じ入る。ちなみに「布と皮膚」という曲が、ちゃんと聴くとなんというかすごく全身がくすぐったくなるえっちな曲なので好きである。私には絶対に作れない。

 

このアルバムでいちばんのお気に入りの曲はベタだが「光の方へ」である。これは映画「私は光をにぎっている」の主題歌であり、「わたひか」の主演は私の最推し女優である松本穂香なのだ。それだけではない。その映画の舞台は私の故郷、野尻湖だったのだ。私が小さい頃から家族ぐるみで付き合いのある旅館が出てくる。ちなみに旅館の女将に「ほのかちゃんと写真撮ったよ!」とツーショットを自慢されたことがあるが、「おお、凄いっすね」と反応しながら内心「うぎゃあああああああああああああああ羨ましい羨ましい可愛い羨ましい可愛い」と叫んでいた。つまりこの映画は「私が撮ったのか?」と思うくらい私得な映画。そのせいもあって「光の方へ」は私の一番好きな曲になった。この曲は私もそらで弾き語ることができる。

 

男性シンガーのいちばんはスピッツだとすると、女性シンガーは今のところカネコアヤノ がいちばんであろう。去年中止になってしまったライブに当たっていたのだが…。いつかライブに行きたいと思っている。

後期真エンド

火曜日の私を呪う。金曜はこんなに多忙だとわかっていながら一切何もしなかった火曜日の私を呪う。この呪いだけで特級呪霊が出そう(呪術廻戦を観始めてしまった私だよ)。

 

結局レポートは朝方になんて仕上がるはずもなく、完成したのは夜通し書いて朝の10時半であった。ここに書くことはあんまりないけれどめちゃくちゃ大変だった。蓋を開けてみれば私の完璧主義な性分がたたってA4で12枚にわたる超大作を書き上げた。これで多すぎと言われ落とされたらどうしよう、でももう仕方がない。時間がないので提出し、急いで唾を吐いた。

 

は?(くっきー!或いはザコシショウ風)

 

ええ。唾を吐いたんです2mLね。というのもCOVID-19の抗原検査をするために唾を学校に持って行かなきゃいけなかったからなのだ。試験管のようなプラスチックの容器に入れて持っていくわけだが、説明書にレモンの写真と梅干しの写真が印刷してあって、「これは唾液腺刺激用です」だとかいうことで、なんだか面白かった。この受付が今日の午前中までだというので急いで学校に行った。提出しおわってまた学食でご飯を食べ、そのあとは寝ることなくバンド練習に向かった。もうあと一週間くらいでライブなので、準備をしなければならないのだ。

 

ライブは今のところどのくらい人が来るのかわからないが、私が誘って多分来る予定なのが高校時代の友人Bである(正確にはKというべきなのだろう)。私の誘いではBの他に来る当てがない。大学の友達を呼んでもなあ、、まだもうちょい取っときたいかもなあ、、という思いもあるため、大学関連のスジはあんまり誘わないようにしている。第一きてくれた人の相手をしたいのに別のコミュニティから呼ぶと大変なのである。初ライブなので流石に緊張してきた。どうしよう〜助けて瑛人。瑛人の曲や歌い方は全然好きじゃないけど、横にいられると思い出す、じゃなくて。引っ張るなよ瑛人。別に瑛人の音楽は好みではないけれど、スペースシャワーTVの番組に出ていたときのあまりのバカっぽい発言が突き抜けていて、ここまで突き抜けてるなら好感持てるわと思ったのが最近の印象である。神経が結構図太いというかあんまり色々考えすぎず「あはは、すごい、おもしろい」で生きている感じを(ディスとかではなく)見習いたい部分まである。ライブとかもあのぐらい楽しまないとな、という感じですね。

 

練習が終わってステーキを食べて直帰して死んだように寝た。当日書いている体にしているから寝る予定だ、と書いたほうがいいかもね。まあお分かりの通り色々しすぎていて書いている暇がなかった。こんなふうに予定が詰まっていて実感しづらかったが、実は秋学期冬学期の真エンドは今日であった。ということは明日から?春休みということなんじゃないの?大学生の春休みが一番楽しいと思っているのだが、今年はどうなるだろうか。少なくとも緊急事態宣言下の現在下手に動くこともなかなかしづらいのであるが3月は比較的暇なので楽しみたいと思っている。来年とかもうどうせそんなに遊べないし。

日本国民英語力上がりたり

昨日のドライブがたたって今日もまた30分ほどインターンに遅刻してしまった。1対1のミーティングがあるというのにそれに出ないでいるせいで直接電話をもらってしまい、着信で起きるという最悪の展開。おそらくバレているがいかにもリンクが見つからなかったようなふりをしてしれっと面談を始めた。堂々としていれば何とかなるモンな気がする。

 

そんでそれが終わると塾である。英語を良く知っている人たちに基礎から英語を教えて馬鹿にされる授業だったので(前回は)、今回はもっとガチガチの文法事項で攻めてやろうと思って臨んだ。こういうところの性格が悪いからな俺は本当に。そうして意気込んで授業に入って行ったら!前回私を鼻で笑っていた英検持ちの2人がどちらも欠席だったではないか。これでは張り合いがないと思いつつ、まあ他のみんなも今野小学生は英語をちゃ〜んと学んでいるだろうし、と思って予定通りの高校英語感あふれる授業を開始した。結果としてわかったことは、彼らは読めるし発音できるし発音も良いけれども、文法事項はほとんど理解していないということだ。be動詞という単語すら知らないレベルである。あ、そんな感じなのか〜と思ったがこれは実際望ましいことなのかもしれない。文法ばかり教わって話せないという日本人の英語教育の難点を克服しつつある世代なのではないだろうか。意外とちゃんと変革が起きていることに何となく感動した。感動しいなので。倒置法多いな、最近。

 

今日はこれで終わりではないのが最悪なのだ。前々から残してあったレポートをやらなくてはならない。要項を見たらA4で5~10枚書かなくてはならないらしい。今日は寝ないでやるつもりである。まあ朝方には完成したらいいかな〜みたいな。